最愛の曽祖母が天国へ

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最愛の曽祖母

今朝、最愛の曽祖母が天国に旅立った。

関係称は難しい。『曽祖母』と言ってもひぃばあちゃんではなくて、祖母の叔母。だから『大叔母』?

でも関係称はどうでもよくて、私たちにとってはひぃばぁちゃんみたいな存在、愛おしい大切な存在。

95歳まで気ままな1人暮らし

若い頃から八幡製鐵所で働いて、自立してた人稼いだお金は、みんなのためにたくさん使ってくれた。

私が産まれる前から逢いに来てくれて、母をサポートし、私達を可愛がってくれてた。

港の市場近くに住んでたから、美味しい魚をたくさん知っていて、よく料理に出してくれた。

旅立つ数ヶ月前まで自分の口から食べてたけど、すっごいよく噛む人だった。

やっぱり長生きの秘訣だと思う。そして噛むから口輪筋がしっかりしてた。最期もきちんと口を閉じてた。カッコいい。

看取りと言われて

95歳から私たち親族一同が住むところへ越してきて、特養で数年過ごし、治療の病院を経て、最期看取りの病院へ。

もちろん高カロリー輸液はしない。経鼻胃管も胃瘻もしない。だけど500ml/日の維持輸液だけは、「必要ないです」って言えなかったな。やっぱり1日でも長くって思いは捨て切れなかった。

最期の1ヶ月

コロナの時期で面会禁止だったけど、いよいよ本当に厳しくなってか1ヶ月あまりは、週1回ペースで逢いにいった。

おしぼりやタオルをお湯に浸して、顔や手足を拭いた。小さな桶を持って行って、手浴や足浴もした。リハビリ兼ねて、腕を回したりもした。

ほとんど発語はなかったけど、目を開けてウッスラ見てた。可愛かった。

この1ヶ月があって本当によかった。貴重な愛おしい日々だった。

旅立ちは1人で

電話があってから母や叔父達みんな駆けつけたけど、多分間に合ってない。私は臨終宣言のあとに到着した。

手や顔は少しだけ冷たくなりかけてたけど、心臓のあたりはずっと温かかった。

手や顔をさすって、「ありがとう」と何度も伝えた。

エンゼルケア

看護師さんと一緒に、身体を拭いて、お着物を着せて、お化粧もさせてもらった。

20年以上病院で働き、管理栄養士だけど、自分の死生観ととことん向き合い、深められたことは私の人生の宝だなって、心から思えた。

今の私じゃなかったら、こういうことはできていないと思う。断言できる。

感謝

今世で出逢い一緒に過ごせた人生に感謝。

本当はもっともっと話したかったって今は思うけど、本当は充分過ごせた。

今は天国で大好きなお父さんとお母さんと楽しく過ごしていて欲しい。そして私がそちらに行くまで、空から見守っていて欲しい。毎日語りかけるから。それまで待っててね。

ありがとう。大好き。

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この記事を書いた人

管理栄養士
臨床傾聴士
食物栄養学修士
PNTトレーナー
分子栄養学カウンセラー
アスリートフードマイスター

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